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湘南・富士見塚~曽我丘陵(327m)

平成26年(2014)3月17日(月)2名
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オオイヌノフグリ ヨーロッパ原産の帰化植物
新松田~富士見塚~いこいの村~六本松跡~下曽我駅のGPS軌跡
新松田駅前の立ち食いそばの「箱根そば」の前を通りかかります。おいしそうな桜エビのかき揚げ蕎麦の写真が出ています。つられて思わず店の中に入ってしまいました。そういえば今朝はまだ朝食を取っていなかったのだ。桜エビのかき揚げもよかったが蕎麦もなかなかいい味だった。おなかが満足したところで、地図を見ながら歩き始めます。斜め後ろには松田山のピンク色の河津桜が見えます。ガードをくぐったり橋を渡ったりしながら東名高速道路の下をくぐります。最初のポイントである神山神社の入口を間違えてしまった。神山(こうやま)神社は古い小さな神社です。ここから道路をショートカットしながら歩き、道路が東名高速と平行になった所で左(北東)に伸びる道路があります。ここに「富士見塚ハイキングコース入口」の看板がありました。ここから20分ほど緩い勾配の舗装道を歩いていくと、左に少し入ったところに富士見塚がありました。
富士見塚からの富士山と菜の花
富士見塚では菜の花が満開で富士山もよく見えました。ただ今日は少し靄っていてくっきり見えなかったのが残念です。富士見塚は矢倉沢往還の一里塚(1里:4km毎の目印)であったようです。矢倉沢往還とは、江戸時代に整備された街道で東京、神奈川、箱根足柄峠を経て静岡県沼津を結んでいました。また、大山への参詣道として「大山街道」とも呼ばれました。富士見塚の直ぐそばには綺麗なトイレも設置されています。富士見塚を後にして篠窪方面へ向かいます。
     
   
道端の土手に群生するオオイヌノフグリ
近くの畑の土手は春の野草の満開といった感じです。オオイヌノフグリ、ホトケノザ、ヒメオドリコソウなどが群生して咲き、それは見事なものです。道路沿いに三島神社の鳥居があり巨木が道路上に覆いかぶさっていました。なんでも樹齢800年以上の椎の木の大木だそうです(大井町指定文化財、天然記念物)。この巨木が道路に倒れないように鉄骨で支えがしてありました。
遅咲きの梅の花が満開になっていた
畑仕事をするのか道具をもった地元のおばさん4~5人がおしゃべりを交わしている。町とは違うのんびりとした時間が流れているようです。そして、もう遅いと思っていた梅が満開になっていました。標識に従って歩いていくと民家を離れ山道へと入っていきます。あまり綺麗な流れではないですが沢沿いの山道のようです。
鉄骨の未完成建造物らしきものが2ヶ所あった
突然、鉄骨の不思議な建造物が出てきました。写真のは少し離れていますが、もう1ヶ所は目の前にありました。大量の鉄骨で組み合わされ高さは20~30mくらいありそうです。建てた目的は何なのかよく判りません。2ヶ所あることからすると谷をつなぐ橋のような感じもしました。(その後、これは篠窪バイパスの工事らしいことが判りました。断定はできませんが今行けば工事しているのかも知れません。県道708号線/篠窪バイパス工事。H28/2/18)
富士見塚ハイキングコース唯一の沢沿いの山道
富士見塚ハイキングコースはほとんどが舗装道です。唯一の山道も沢沿いのコースで20分ほどで終わります。道端にはルリソウやフキノトウが咲いていました。また赤い実を付けたアオキが特に多かった気がします。大井町美化センター(ゴミ焼却場)の前に下りると山道は終わります。ここにはトイレが設置されています。畑の中の舗装道を歩きます。見晴らしがよくなってきて下のほうには東名高速道路も見えます。やがて下りになり乗馬クラブ脇を通り東名高速道路の上を渡ります。15分ほど歩くといこいの村の建物が見えてきます。おおいゆめの里(丁字ヶ原農村公園)の河津さくらを見に行きます。満開ですが盛りを過ぎて咲き始めの頃の初々しさはないです。ここのベンチに座りコーヒーを飲んで休憩します。
スズメノヤリ(雀の槍) 花の形が大名行列の毛槍に似ていることから
いこいの村あしがらは勤労者向けの宿泊施設ですが、勿論一般の人にも利用できます。テニスコートなども設けられています。曽我丘陵にはいこいの村あしがらを過ぎて最初の道を左折すると小さな道祖神が置かれています。曽我丘陵はここを右に入っていきます。テニスコートでプレーをしているのを見下ろしながら緩い坂道を登って行きます。曽我丘陵は特別展望がいいところはないのですが、静かな山歩きができます。電波塔のある浅間山は特に目印もなく通り過ぎてしまいます。途中「古怒田、菅原神社」と書かれた道標の方向は曽我丘陵とは違うので行かないようにします。またしばらく山道を歩きます。不動山(327m)の手前にはマジックで「不動山の入口」と手書きで書いてあります。5分ほどの登りで不動山の頂上に着きます。周囲は樹木に囲まれて展望はありません。不動山頂上から左方向へ行くと元の道に合流します。
ハンノキ(榛の木)の雄花のようです
不動山から30分ほど歩くと六本松跡に着きます。途中に二宮町方面や海が見える展望のいいところがあります。すぐ下に見える梅林の花はほとんど落ちていました。六本松跡は最後の松が明治の終わりごろに枯れてしまったようです。今は石碑だけがある何でもない所ですが昔は重要な場所だったのでしょう。
宗我神社(そがじんじゃ) 宗我氏の祖先を祀った神社
折角なので帰りに宗我神社へ寄ってみることにします。宗我神社は1028年の建立です。宗我氏の祖先を祀った神社で、曽我の里の総鎮守となっています。社はさすがに由緒のありそうなたたずまいです。
宗我神社境内にあるケヤキの木のヤドリギ
境内にはケヤキと見られる大きな木が2本あり、両方の木に幾つものヤドリギが付いていました。ヤドリギは寄生植物で、エノキ、ミズナラ、サクラ、アカシデ、ケヤキ、クリ、ブナなどの落葉樹に寄生するようです。神社や寺に多いのは古い木が多く、木を大切にしているからでしょうね。
城前寺(ジョウゼンジ)の曽我兄弟像
直ぐ近くにある曽我兄弟にゆかりの寺といわれる城前寺にも寄って見ます。境内には幼稚園が隣接してあり、子供達の声が賑やかです。寺の裏手に回ってみますと曽我兄弟像が設置されていました。曽我兄弟は誤って父を殺した仇(祖父の甥)への仇討ち(敵討ち)で知られています。仇討ちに至る経緯は複雑で判りにくく、一概にどちらがいいとも悪いとも言えません。時は鎌倉幕府の建久4年(1,193年)5月でした。場所は源頼朝が巻狩(大勢で鹿や猪を追込む猟)をしていた富士山の裾野です。これに参加していた仇が夜寝ているところを起こして討ち果たしました。しかし兄はその場で討たれ、弟は捕らえられその後処刑されました。曽我兄弟は仇討ちのために生まれ、そして死んだような一生でした。当時はそれが仇討ちの見本として、面白おかしく語り継がれたんですね。
新松田~富士見塚~いこいの村~六本松跡~下曽我駅のコース断面図
コースタイム歩行4時間 距離18.1km 累積標高733m -769m
小田急線新松田駅8:45→9:40富士見塚→11:10いこいの村11:40→12:35不動山→13:00六本松跡→宗我神社→城前寺→13:55鳥ぎん14:55→JR御殿場線下曽我駅
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